英国駐在員の日々雑感


by winchesterpark
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

シェークスピア故郷ストラットフォードを訪ねて

今週はシェイクスピアの故郷ストラットフォード・アポン・エイボン(Stratfod-upon-Avon)を訪ねました。イギリスでは、シェイクスピアの物語・セリフのバックグランドがないと会話が成立しないことがよくあります。私も時間を見つけては芝居を見に行くようにしているのですが、本当にイギリス人は心の底から芝居が好きです。夏になると自宅の近くのRegent's Parkの野外劇場では、シェイクスピアの芝居を見ることができます。そこで見た「真夏の夜の夢」は、エンターテイメントの原点とも言うべき、質の高い演劇でした。演じている人と観客との一体感があり、笑い、泣き、喝采の絶えません。そこで今週はシェイクスピアの原点を探るためにストラットフォードに向かうことにしました。

ウィリアム・シェイクスピアの家系をたずねると、ストラットフォードの田舎町にたどり着きます。父方(ジョン)・母方(メアリ)ともにエイボン川北側のアーデンの森で農地を有する裕福なヨーマン(ヨーマンとは独立自営農家で、封建貴族を衰退させ、後にジェントリ階級を形成)出身でした。「真夏の夜の夢」の舞台は名目上ギリシアのアテネ近郊の森となっていますが、そこに漂う魔力はまさに英国的であり、アーデンの森がシェイクスピアに与えた影響は大きいです。
▼シェイクスピアの母メアリが結婚前に住んでいた、ウィルムコート村にある実家
b0143877_6443575.jpg

▼当時の家の中の様子
b0143877_644596.jpg

▼農園サイド。訪ねたときは小雨だったのですが、途中からきれいな青空に。
b0143877_6453769.jpg

その後、父のジョンは1552年にストラットフォードにやってきて、手袋造りの商売を始め、この家で8人の子供に恵まれますが、第3子の長男として生まれたのが、ウイリアム・シェイクスピアです。誕生して間もない1564年4月26日に、教区のトリニティー教会で生誕洗礼を受けています。
▼シェイクスピアが洗礼を受けたトリニティ教会
b0143877_657736.jpg

▼シェイクスピアが生まれ、少年時代を過ごした家
b0143877_6573215.jpg

その後シェイクスピアは、ストラットフォードでグラマー・スクールに通い、裕福な家庭の子息と同様に、ラテン語、文法学、論理学、修辞学を学んだと言われています。当時の町並みとエイボン川は今も変わっていません。
▼シェイクスピアがグラマースクールに通っていた頃の建物はニレの木で建てられた木造家屋が典型的
b0143877_7412527.jpg

▼シェイクスピアの心のふるさとエイボン川
b0143877_7415256.jpg

その後、1576年の終わりに父のジョンが商売で失敗をし、シェイクスピアは学業をあきらめることになります。そして、当時18歳のシェイクスピアは26歳のアン・ハッサウエイと結婚し、1583年に第一子、翌年に双子の子供を授かります。しかしシェイクスピアはその後、家族のいるスラットフォードを離れてロンドンに向かってしまいます。
▼郊外にあるアン・ハッサウエイの実家。当時は裕福な独立自営農家であった。
b0143877_7532723.jpg

ロンドンでのシェイクスピアの活躍は言うまでもありませんが、当時の劇作家は、大学教育を受けた文学者中心で、シェイクスピアは役者からスタートし、後に劇作家としての頭角をあらわします。当時のロンドンは1588年にスペインの無敵艦隊(アルマダ)を破って、大英帝国時代の始まりである、エリザベス一世君臨の時代と重なり、文学者よりも、世情はシェイクスピアのような知的職業人に見方しました。劇作家となってからは年に3本ほどの脚本を書いたと推定されています。その後、シェイクスピアの劇団(宮内大臣一座)は国王一座として正式に認められ富と名声を得ます。しかしシェイクスピアは、自分がストラットフォードの人間であることを決して忘れませんでした。彼はかなりの額の蓄えを、ロンドンよりも故郷に投資し、故郷のストラットフォードに帰ってきます。その後1596年にニュープレイスというお屋敷を買い、晩年をここで過ごしました。
▼ニュープレイス跡地のの美しい庭園
b0143877_8194913.jpg

それでは最後に代表的な「ハムレット」の第3幕のセリフをお楽しみください。
英語はリズムが大事なのですが、イギリス国会や討論会で自然に「To be, or not to be, that is the question」のようなセリフが日常会話で意識されて使われます。
シェイクスピアがイギリス社会に深く浸透していることがよくわかります。

To be, or not to be, that is the question:
Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune
Or to take arms 'gainst a sea of troubles,
And by opposing end them?
----Hamlet, 3.1.58

このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。
どちらがりっぱな生き方か、このまま心のうちに
暴虐な運命の矢弾ををじっと耐えしのぶことか、
それとも寄せくる怒濤の苦難に敢然と立ち向かい、
闘ってそれに終止符をうつことか?
『ハムレット』第3幕第1場
[PR]
by winchesterpark | 2008-08-09 12:00 | 旅行